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山田太一「本当と嘘とテキーラ」

sousyun_dvd1.jpg山田太一ドラマスペシャルV「本当と嘘とテキーラ」を観る。
「正しくないこと」に直面したとき、人はどうするか?
ここには、幾通りもの「本当」が隠されている。嘘と隣合わせにあるイイワケが存在する限り、本当のことを言っても信じてもらえないときがある。これは嫌なもんだ。でも嘘とかイイワケが必要なときは絶対的にある。これもいい気はしない。そんな葛藤が描かれている。


で、山田太一作品をここ最近立て続けに観ている。この世にいる人すべてが主役だ、なんてよく言うけれど、山田太一の作品でもまた、出演する役柄すべてが主役のような存在感を放っている。これは目立つ役とか個性の強いキャラとかそういうことではない。観る人によっては気づかないくらいの細かな心理描写が丁寧に丁寧に描かれているのだ。で、気を抜いていると、ちょっとしか登場しない脇役が突如として、永久保存版的名言を投げかけてくるから、テレビの前から一歩も動けない。


最近観た「早春スケッチブック」はこれまで観たドラマの中でもトップ3に入るくらいにハマった。随分昔のドラマだけどいま観ても、素晴らしい作品。ありきたりの日々を退屈に思ったり、何かを諦めなくてはならなかったり、絶望的な気持ちに打ちひしがれたり、とてつもない孤独を感じたり。今も昔も人生という壮大なテーマの根底に流れるものは何ひとつ変わらない。台詞というよりも詩のような、ドラマというよりも舞台のような、そんな感覚に近い。


「おまえら、骨の髄までありきたりだ」という二度見ならぬ、二度聞きしたくなる台詞が出てくる。ありきたりの平凡な毎日を退屈に思ったり、自由であることを孤独に感じたり、人間とはないものねだりな生き物だ。私はそのどちらもをどーにかこーにかコントロールすることを日々重ねてきたつもりだけど、これがまた、なかなか上達しない。平凡なら刺激を与えればいい、孤独なら檻に入ってみればいい。それだけのこと。私はラッキーなことにどちらも行き来できる感覚がある。なのに、結局のところ、どちらをとっても一生満足はできないのかなと。満足できたとしても一時的。ないものねだりな刺激中毒はワガママで困る……。DVDが出てるのでちぇけら!

Posted by timemachinelabo at 03:06 AM

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